MADな自分 Final

遅刻することを警戒するあまりに飛行機の出発時刻の3時間前にカウンターに着いてしまった。基本的に空港のカウンターはシェアなので、自分が手続きを行うカウンターは他の会社にまだ使われている。重い荷物を未だに預けていないためお土産を見に行く気にもなれない。そういうわけで空き時間にこのブログの最後の記事を書くことにした。

MADでの6ヶ月間、かなり働く日々をエンジョイすることができた。学生程ではないが頻繁にMADの友達と飲みに行ったり、事務所で毎週行われるピラティスのレッスンに参加したり、北京日本人会テニス部に入部して毎週テニスをしたり、北京の日本人全体のテニストーナメントに出て3回選で負けたりなどなど、北京にそのまま定着しても良いくらいのリラックスぶりだったと思う。飲みに行く場所もクラブやバーだけだったし、ピラティスが男にとってもかなり充実したインナーマッスルレーニングだとわかったし、毎週のテニスは空調の効いたインドアのハードコートだったし、テニストーナメントは和気あいあいとしていたし、全てが日本とは違っていた。北京での生活には地下鉄や食事のように耐え忍ばねばならないことも多々あったが、日本にはない素晴らしい文化や場所も数多くあったので、「住めば都」という言葉で締めくくることができるだろう。

MADの所員としても多くのことを達成することができた。関わったプロジェクトはルイ・ヴィトン、上海、無錫、北京、そして青島と5つだ。その中でも青島で自分がゼロからすべてのコンセプトデザインを担当した建物は、驚くべきことに今年の冬から着工されるらしい。事務所のNo.2のQunさんには「あなたはものすごいスピードで成長したから、卒業したら是非MADで働いて欲しい。ポジションはいつでも用意してるから好きな時に戻って来て。」と言ってもらえた。事務所のTopのMaさんには、川島が最後の仕事として担当した新しい設計案について、「今日が君の最終日だけど、君が今までデザインした中で一番良いじゃん。Σd( ̄▽ ̄)」と言ってもらうことができた。数々の仕事を通して、日本にいた時は殆どできなかったRhinoやMayaでの設計スキルも身につけることができたし、これ以上ない程の経験をすることができたのではないかと思っている。コンドル賞研修計画の時に提出した「今までの自分とは全然違う環境に飛び込むことによって自分自身が成長する幅を広げたい」という目標は、達成できたと言えるだろう。

MADでは多くのことを学んだが、その中でも今後の自分が一番大事にしていくのは、「中国、日本にしかできない、東洋的な建築のデザインの手法をさらに追求する」、という方向性だろう。日本や中国の伝統的な建築や庭園に内在する自然と共鳴し合う精神を、現代の建築の中に継承することが、東洋人建築家の使命であると思う。内藤廣はそれを木造という視点で達成しようとしているし、Maさんはそれ自由な形で達成しようとしている。自分がそれを達成する方向性が環境エンジニアリングになることはもはや避けられないが、なるべく先人たちに近づけるようにこれからも努力し、成長していかなければと思う。

以上のようなハッピーエンドを迎えてMADでのインターン生活を終えることができて良かった。最後にMADの人々、遊びに来てくれた友達、研究室で川島の穴を埋めてくれた人達、このブログを読んでくれた人達、そして北京での生活を支えてくれた両親に感謝して、このブログを終了することにする。有難うございました。

MADなデザイン Final

昨日がMADでの勤務の最終日で、今日が北京での最後の一日だった。この6ヶ月の間で本当に多くのことを学ぶことができた。コンドル賞の奨学金の行き先をMADにして良かったと強く感じている。この記事と次の記事でこのブログはめでたく終了となるのだが、今回はまずMADのデザインについて、取り留めの無い内容ではあるが、書き留めておくことにしよう。

MADは現在カナダでほぼ完成したAbsolute Towersにより有名になったオフィスだ。上に載せたオルドス美術館はMADにとって初めて完成した大規模な建築である。この他にも多くの大規模な建物をMADは設計していて、いくつかは既に建設中である。

自分、そして事務所の多くの人が心配しているのは、Absolute Towersが今後もずっと、MAD唯一の名作になってしまわないかということだ。平たく言えば1stアルバムが大ヒットした歌手が2ndアルバム以降ぱっとしなくなってしまうのを恐れることのようなものである。有名になって大規模な建物を大量にデザインしなければならない状況では、デザインのレベルが低下することを避けることは難しい。

またもう一つ恐れているのは川島がMADで担当した住宅のように、本当にその建築が人々に使われるかということである。いくらデザインのクオリティを上げたとしても、使われない建築はただの廃墟になっていくだけである。

しかし上の2つの点については最近とても楽観的になってきた。Maさんがやろうとしていること、曲線を使った建築で、中国古来の美術に見られる自然と人間の関係を再構築しようとしていることは、世界の他の誰もやっていない。その道に突き進む意志は誰よりも強いし、中国人であるMaさんがやる必然性もある。MADがその強い意志を保ち続ける限り、Absolute Towersを超える名作が生まれる可能性は十分にある。

また、建物の使われ方がたとえ理想的でなくても、建築家は受け入れるべきだと考えるようになった。安藤忠雄の名作の1つである水の教会でさえ、地方によくある商業的な結婚式場専用の教会だ。それでもなお凛とした空間を保ち続けているからこそ名作だと言えるのだ。多くの人を強く引きつける空間を作ることは建築家の義務のうちの1つである。空間が強ければ強いほど、パンテオンコロッセオのように残り続ける建築となる。クライアントに文句ばっか言っていては始まらないのだ。

これから自分がMADにどう関わっていくのかはわからないが、今後共常にMADの活動に対してアンテナを張って見守っていくことにしよう。曲線を多用した新世代の建築に否定的な内藤廣でさえ認めるような建築を、MADがデザインする日が来ることを信じている。

MADで働く人は

これはMADで働くイタリア人のアキレが地元紙のインタビューに答えたことだが、「ヨーロッパなどでの新築の需要が殆ど無い国では、建築家は普通個人宅等の小規模なプロジェクトをやることとなり、小さい空間の中で密度の高い設計をすることができる。しかしその仕事によって自分の懐に入ってくる収入は非常に少ない。一方中国では大金持ちのクライアントによる大規模なプロジェクトをやることができ、その設計料も驚くほど多いが、短い期間の中で密度の高い設計をすることは不可能である。どちらが建築家にとって良い事なのか決めることは難しい。」

これはMADで働くアメリカ人のソーヒが言ったことだが、「アメリカだって日本だって経済の成長がストップして景気が悪い悪い言ってるけど、何の問題があるの?中産階級の生活の質は明らかに中国の中産階級より高いし快適だ。快適な人生を過ごせること以外に重要なことってあるのかな?経済が成長することってそれほど重要なことなのかな?停滞した雰囲気って単なる気の持ちようの問題なんじゃないの?」

これは青島プロジェクトを提出前に手伝ってくれたMADのイギリス人のアナが言ったことだが、「私は建築というものは人々のコミュニティに貢献するものであるべきだと思ってる。だけどこの青島プロジェクトは、家を幾つも持っているようなものすごいお金持ちのための住宅の設計であり、買う人はいるだろうがその人がどれだけ使うかどうかは全くわからない。その状況の中で建築家ができることは一体何なんだろうね?デザインのクオリティを上げること?社会に訴えかけるデザインを作ること?私には誰のためのものでもないデザインに意味を見出すことはできない。」

これはMADの所員のリーダー格のアメリカ人のダニエルが言ったことだが、「自分がこの中国という国でやるべき事は、クオリティの高い先鋭的なデザインの建物を、世界の他の場所では決してできないようなスピードで建てることだ。中国はクライアントの経済力が高い一方で、建築資材の値段も労働者の賃金も安い。今建設中の美術館では、アメリカだったらは高級な冷蔵庫の外装に使われるようなステンレスパネルを数千枚を、毎日50人ぐらいの職人が現場で取り付け作業を行なっている。こんなことは世界の他の国じゃ有り得ないことだ。」

以上の言葉を吟味していくと本当に考えさせられるが、自分にとっての答えを探すまでには時間がかかりそうだ。自分がこの6ヶ月MADで学んだことはとても有意義で今後に大きな影響を与えるものだったが、自分がこの6ヶ月MADでデザインした建築は何だったのか、ここで一度定義しておかなければいけない。

最後の提出

担当したプロジェクトのクライアントへの中間提出が9月21日にあった。敷地調査から2ヶ月間ひたすらスタディをし続けた成果を、何とか見せられる形にまとめなければいけなかったので、一週間半近く朝から深夜まで連日働き続けた。9月30日がインターンの最終日の自分としては最後の区切りのような仕事だった。

自分のデザインした建物は2000m2のヴィラ1つと教会堂1つの合計2つの建物である。2ヶ月の設計プロセスの中で迷走したり上手くいったりMaさんやBao先生の意見に振り回されたりかなりのアップダウンがあった気がするが、最終的には2人ともOKを出してくれるものを設計することができた。自分としてもこの設計プロセスは大いに勉強になった。

教会堂は10月末から詳細設計に入り、今年の冬には建てられ始めるという。ボスのLukeには「オレは3年間フルタイムとして建築事務所で働いてて、ゼロからコンセプトデザインを担当して実際に建てられた物件はないのに、Hirokiはインターン六ヶ月だけなのにもう設計したものが実際に建っちゃうって運がいいなー!」と言われた。確かにそうだ。設計はもちろん真面目に全力でやったのだが、自分が担当したものがもう建てられてしまう感覚は何か不思議だ。中国のクライアントの財力に計り知れないものがあることは前にも書いていたことだがこれ程とは。

日本のような先進国ではあり得ないような出来事だが、何でも建ててしまうクライアントがいることが悪いことなのか、良い事なのかは、まだ頭の中でもやもやしていて結論が出ない。早めに整理してブログの次の回にでも書き留めることにしよう。

広場を使おう

日本で広場を設計しても結局使われないというのは有名な話だが、ここ北京では公園や街中の広い場所が結構活発に使われている。

上の写真は大学のテニスサークルの友達の目黒、さと、あやかが遊びに来た時に、天壇公園でエアロビクス(?)をしている集団に目黒が混ざってみた写真だ。このような大きな公園だけでなく、街中の小さな公園でも中年以上の男女が音楽に合わせて集団ダンスや合唱をしている光景を北京では良く見かける。ダンスの種類も様々だ。

集団で何かをしている様を見ると、日本人の自分としては「共産主義の国だからこういう伝統があるのかな」と思ってしまう。何はともあれなぜこれ程までに多くの人が参加しているのか疑問になったので、その理由をMADの中国人友達に聞いてみた。

回答はシンプルで「退職して日中やることがなくなった人たちが、友達作りと、暇だから家の外で遊ぼうっていう理由で公園で遊んでるだけだよ。」ということだった。写真に載せているエアロビクスも別に特定のサークルがあるわけではなく、音楽を流しながら振り付けを教えるインストラクターみたいなおじさんが一人いて、そこにおばちゃんたちが勝手に集まって見よう見まねで踊っているだけだということだ。だから目黒が見よう見まねで飛び入り参加したこともあながち間違ったやり方ではない。

中国人のおじいちゃんおばあちゃんたちは、このように皆外で近所の人と遊びながら暮らしているらしい。逆にMADの中国人友達にこんなことを聞かれた。「じゃあ日本のおじいちゃんおばあちゃんはいったい日中どこにいるの?家の中で遊んでるの?」「…そうだね。みんな家の中で一人で遊んでるよ。」

こう答えた所で段々不思議な気分になってきた。「家の中で一人で遊んでる」という答えは間違っていないと思うのだが、どう考えても不健康で内向きな答えな気がする。毎日公園でみんなとダンスをしている中国人のおじいちゃんおばあちゃんの方がよっぽど健康だ。

中国の文化を変だなと思ったスタートから日本の文化を変だなと思う結論にゴールしたので何だか不思議な気分だ。違う文化に触れることで日本に対する見方がどんどん変化していく。そのプロセスが面白いから海外暮らしは多くの人にとって魅力的なのだろう。

前海と后海

北京で観光地と言える場所は殆ど行ってきた気がするが、前海と后海には今回の友達の訪問で初めて行くことになった。北京は内陸の都市なので「海」と言ってもそれは湖のことで、都市がここに作られたのも、貴重な水源としての大きな湖の周りに人が自然と集まったからだということだ。北京にある湖の中でも、北海、中海、南海などは、周囲に皇室庭園が建設され囲い込まれてしまっている。中海は南海は中国共産党の重要施設に囲まれていて今でも一般人は立ち入り禁止だ。

しかし前海と后海だけは昔から交易の中心となっていたため今でも一般に解放され、都市の一部となっている。今では周りにお土産物屋やレストランやバーやクラブが集まっていて、金曜の夜や週末は多くの人でごった返している。湖面によって冷やされた風が一定のペースで吹いている環境は
、しばらく佇んでいるだけで本当に心地が良い。

東京にもこういう場所がないだろうかと考えてみたが思い至らない。東京で湖というと不忍池と皇居のお堀が思いつくが、前者は公園内、後者はオフィスや官庁に囲まれていて、人とのつながりが北京程濃くない様に感じる。お台場やみなとみらいのような親水空間も、後付けで整備された印象が拭えないため、本当に良い空間になるためには時間の積み重ねがさらに必要だ。

前海、后海の魅力は、少し泳げば対岸に届きそうな丁度いいスケール感と、歴史の積み重ねによる空間の密度の高さから来るものなのだろう。自分は世界はおろか日本の都市でさえ訪れた経験が十分にあるわけではないが、都市の中の湖として世界でも有数の場所だと認定したいぐらいである。自分の中では、バルセロナの海岸と同じレベルの感銘を受けた場所なのだ。

一緒に訪れた友達も「こういう場所を見ると北京に住んでもいいかなっていう気持ちになる」とか「ここは北京を好きになる場所だね」とか「ぼーっとするスポットとして最適」などと言っていたが、自分もこれらの意見に賛成だ。それと同時に前海、后海のような空間の体験なくしては、良い空間の設計なんてできないんだろうなとも感じた。

友達ラッシュ

前回のブログの更新から大分間が開いてしまったわけは、北京に友達の訪問ラッシュがあったからである。9月の頭までの5ヶ月間、友達の訪問は小学校の同級生の内野くんぐらいしかなかったが、8月の末からの1週間に、建築の友達、テニスサークルの友達、建築の先輩、都市工の友達がまるで示し合わせたかのように一気に北京に訪れた。

このために3日間ぐらいの休みをとることになったが、その間ずっと観光をしたり飲んだり早起きをしたりしていたので、終わったとたんに極度の疲労に襲われた。当然追加の休みは取れないので仕事中は眠くて仕方がない。卒業設計の時でもレッドブルは提出前日の1缶しか飲まなかったが、今回は1日に2缶飲んでもまだ眠いという程であった。

万里の長城故宮もオリンピック公園も、スタンダートな場所は全て3回以上訪れたので、もう北京で観光する必要は向こう20年ぐらい必要ないだろうという気分である。但し万里の長城だけは訪れるたびに違う場所に行くことができ、違う地形を楽しむことができるので何回行っても楽しい。そんな体験ができる世界遺産など万里の長城ぐらいしかないだろう。単純なコンセプトのクレージーな繰り返しが、自然と合わさることによって世界唯一のものになるとは面白い。まるで何かの教訓のようだ。

何はともあれ今回の訪問は本当に楽しい時間だった。友達がたくさん来てくれたことで、久しぶりに日本語で、様々なことについて深く話すことができた。北京に来る前にSkypeで話すことも多々あったが、やはり会って話すのが一番である。友達の皆が一気に訪問してくれた濃密な時間が、後になっていい想い出になることは確実だ。

MADでのインターンの残りはあと三週間だ。来てくれた人たちに感謝するとともに、これを糧にラストスパートをかけていけたらと思う。